宮本 謙介のホームページ

  インドネシア研究断章

             在野研究者からのメッセージ



 

  トピックス

筆者が、インドネシア研究にとって必要不可欠と考えるトピックスを順次取り上げて解説します(関係の研究領域のみ)。

トピックスの例
※オリエンタリズム批判のアジア歴史研究
※前近代国家の性格をめぐって
※強制栽培制度とは何だったのか
※国民国家インドネシアはいつ成立したか
※スカルノ政権の性格をめぐって
※「緑の革命」の評価
※メガ都市論の課題
※インフォーマル・セクターとは何か
※「中間層」の定義
※インドネシア労働市場の研究課題
※日本的経営生産システムの「アジア的適応」問題
※多民族国家の社会統合は可能か
※イスラームと国家統合
その他



※オリエンタリズム批判のアジア歴史研究
アジア(インドネシア)の歴史研究の今日的意味を改めて問うとすれば、やや一般的な表現になるが、それは我々日本人の西洋中心的な世界史認識、これと表裏する日本史中心のアジア認識の再検討にとって欠かせない、ということになるだろう。 少なくとも明治期以降の多数の日本人の国民的歴史観として、「進んだヨーロッパと後れたアジア」というオリエンタリズム(西洋近代の価値観を基準としてアジアをみる思考の枠組み)が広く共有されてきたように思われる。 しかもその「後れたアジア」には日本は含まれず、「脱亜入欧」に典型的に示されるような、アジアの中の例外としての日本という思考の枠組み(欧米への劣等意識と表裏の関係にあるアジアへの優等意識)こそ、 長く日本人のアジア認識を呪縛してきたのではなかろうか。それは、西洋の社会科学・人文科学を輸入学問としてほとんど無批判に受容してきた結果かもしれない。 そのような世界史認識は、明治以降の学校教育の中でも醸成されてきたように思われる。
オリエンタリズムに対する反省は、近年、その発祥の地である欧米の一部研究者によっても強く意識されるようになっているが、具体的な歴史研究によってオリエンタリズムを乗り越える試みはまだまだ少数である。 研究成果の一例を挙げると、国際的な歴史学会で注目されてきた「近世アジア史」=「交易の時代」論によれば、少なくとも15世紀〜17世紀に関しては、西ヨーロッパ経済に比してアジア経済の優位性は疑いの余地がなく、 当該期におけるヨーロッパ勢力のアジア進出は、後進のヨーロッパが高度に発達したアジア地域市場圏へ参入したものと捉えられている。
アジア(インドネシア)の歴史の中に固有の発展の論理を発見し、日本人の中にあるアジア認識を再検討することは、ひるがえって世界史認識を再構成するという緊要の課題を我々に迫ることにもなるはずである。 西洋中心的な世界史認識への反省こそ、アジアの中にあって決して例外ではない日本の歴史を日本人自身が相対化することにもなるだろう。
最近、筆者は日本のインドネシア研究の現状を概観したが(拙稿「インドネシア社会経済史研究の再検討」)、なおオリエンタリズムの呪縛から解放されず、残念ながら旧態依然とした歴史観に基づく研究が見受けられた。 オリエンタリズム批判の歴史研究の緊要性を痛感する次第である。


※スカルノ政権の性格をめぐって
スカルノ政権の評価に関しては、これまでスカルノを(急進的)民族主義者と見做し、その政権もナショナリストの政権として肯定的に評価されるのが一般的であったが、筆者はこのようなスカルノ評価を根本的に見直すべきであると考えている。
本来、民族主義には「進歩性」と「保守性」の二面性が内在していると言われるが、政権の座に就いて以降のスカルノについてはその民族主義の保守性に注視すべきである。スカルノ政権は、その権力基盤の脆弱さゆえに国内統治においては国営部門を管理する陸軍主流と地方名望家への依存度が極めて強かった。 1950年代後半の「指導される民主主義期」における基幹産業の国有化や、1960年代前半の土地改革の性格を見てもその保守性は明らかである。外交面での西イリアン解放闘争やマレーシア対決、「北京=ジャカルタ枢軸」などが国内矛盾(壊滅的経済状況)を隠蔽する外交的戦略であったにもかかわらず、 先行研究の多くはスカルノを急進的民族主義者として過大に評価してきた。
9・30事件後のスハルト体制への移行は、体制転換というよりも、むしろ基本的にはスカルノ体制の延長線上に捉えるべきである。スカルノの「指導される民主主義」がスハルトの「開発独裁」を準備したと言ってもよい。 スカルノ体制の国内権力構造からすれば、スハルト体制との連続面こそ重要な視点なのである。
このような視点を敷衍すれば、日本・インドネシア関係史においても、スカルノ政権からスハルト政権への連続性と、日本のスカルノ期戦後賠償からスハルト期ODA供与への連続性はパラレルな関係として捉えることができる。
(以上の諸点について詳しくは拙著『概説インドネシア経済史』参照)。


※中間層の定義
産業のの高度化に伴う(都市)社会階層の変動は、途上国でも重要な研究領域になっており、特に「中間層」の台頭とその社会的・政治的役割が注目されている。「中間層」とは、旧来は資本家と労働者のどちらにも含まれない自営業者ー農民も含むーと捉えられていたが、 最近は都市の社会階層論の中でより広い文脈で取り上げられることが多い。旧説との対比で言えば、厳密には「新中間層」と呼ぶべきであるが、近年の学会での議論に即してここでは単に「中間層」とする。
社会学者を中心とするこの領域の研究では、「中間層」の定義として消費パターン、価値観・意識、行動様式、所得水準等を重視する立場が優勢である。これに対して筆者は、中間層をあくまで職業カテゴリーによって定義すべきと考えている(事務職、技術職、管理職、専門職などのいわゆるホワイトカラー労働者)。 特定の社会階層の形成・変動を人々の消費行動やライフスタイルなどで捉えたのでは、所得水準や物価の変動が激しい社会ほど時系列変化の把握が難しくなり、また他国との国際的な階層構成比較も困難である。職業カテゴリーであれば、統計的処理によって時系列変化も国際比較も可能になる.
(詳しくは拙編著『アジアの大都市(2)ジャカルタ』を参照。)


※日本的経営生産システムの「アジア的適応」問題
アジアに生産拠点を移転している日系企業は、程度の差はあれ、いわゆる日本的経営の中軸となる年功的な職場秩序の導入を図っていると言ってよい。 問題は、日本的経営・生産システムのどのような側面の導入が有効と言えるのかである。それは当該社会の社会的・文化的背景、あるいは現地人労働者の労働観によっても異なってこよう。 また、管理職労働者と生産職労働者という職層の相違によっても適用の形態が異なり、定着度の評価も異なるであろう。いまや大挙してアジアに生産・販売拠点を展開している日本企業にとって、経営戦略のあり方とその評価は緊要の課題である。
日本的経営・生産システムの「アジア的適応」問題に関して、日本的経営の定着を高く評価する研究も少なくない。高い評価が与えられているのは、概して日本的な作業組織と管理運営などの、主に制度面に関わる移転であり、それは経営側がある程度は強引にでも導入できる側面である。 日本的経営・生産システムの移転評価に関する筆者の着眼点は、上司から部下への技能移転を当然視する職位間人間関係、マニュアル化されない職務内容・職域の柔軟性、職層を超えた集団的な自覚的製品管理、年齢・勤続年数を重視した人事考課による年功的な昇進・昇給システムを是とする労働観の形成など、これらの点がどの程度進展しているのかである。 筆者によるアジア各国の調査事例からすれば、日本的経営・生産システムは、その本質的な側面において根付いているとは言い難い(詳しくは労働市場論に関する拙著を参照されたい)。





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