「新刊書評」のページで取り上げた文献以外に、最近(2020年以降)関心をもって読んだ著作の中から、簡単な「読書ノート」として書き留めたものを紹介します。ここではインドネシアあるいは社会科学に限定せず、様々な分野の著作を幅広く取り上げます。
(「書き下ろし新刊書評」が学術雑誌等の書評の形式に則って執筆しているのに対して、このページの「読書ノート」は極く簡単なメモ書き程度のものです。なお、「読書ノート」に続いて「読書ノート・番外編」も掲載しています。)
※井上治『インドネシア領パプアの苦闘―分離独立運動の背景』めこん、2013年
※野中葉『インドネシアのムスリムファッションーなぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか』福村出版、2015年
※K.ポメランツ『大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』名古屋大学出版会、2015年
※高野さやか『ポスト・スハルト期インドネシアの法と社会』三元社、2015年
※園田茂人、デヴィッド・S・G・グッドマン『チャイナ・インパクトー近隣からみた「台頭」と「脅威」』東京大学出版会、2018年
※早瀬晋三『グローバル化する靖国問題―東南アジアからの問い』岩波書店、2018年
※太田恭彦『プラナカンー東南アジアを動かす謎の民』日本経済新聞出版社、2018年
※小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋、二つの植民地体験』岩波書店、2019年
※林英一『南方の志士と日本人―インドネシア独立の夢と昭和のナショナリズム』筑摩書房、2019年
※古田和子(編著)『都市から学ぶアジア経済史』慶應義塾大学出版会、2019年
※浅井亜紀子・箕浦康子『EPAインドネシア人看護師・介護福祉士の日本体験―帰国者と滞在継続者の10年の追跡調査から』明石書店、2020年
※杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会、2020年
※石弘之『砂戦争―知られざる資源争奪戦』角川新書、2020年
※植田浩史・三嶋恒平(編著)『中国の日系企業、蘇州と国際産業集積』慶應義塾大学出版会、2021年
※リチャード・ロイド・パリー(濱野大道・訳)『狂気の時代―魔術・暴力・混沌のインドネシアをゆく』みすず書房、2021年
※アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジアー歴史を変える交差路(上)(下)』名古屋大学出版会、2021年
※加藤久典『インドネシアー世界最大のイスラーム国』ちくま新書、2021年
※邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃―日本人だけが知らない巨大経済圏の真実』日経BP、2021年。
※中央公論新社(編)『金子光晴を旅する』(中公新書、2021年)
※「お隣は外国人」編集委員会(編)『お隣は外国人―北海道で働く、暮らす』北海道新聞社、2022年
※池田真也『商人が絆す市場―インドネシアの流通革命に交わる伝統的な農産物流通』京都大学学術出版会、2022年
※小笠原弘幸『ハレム・・・女官と宦官たちの世界』新潮選書、2022年
「読書ノート・番外編」
※オルハン・パムク『わたしの名は赤(上)(下)』(新訳版)早川書房、2012年
※黒木亮『エネルギー(上)(下)』角川文庫、2013年
※篠田節子『インドクリスタル』角川書店、2014年
※古内一絵『痛みの道標』小学館、2015年
※東山彰良『流』講談社、2015年
※中原清一郎『ドラゴン・オプション』小学館、2015年
※浅田次郎『ブラック・オア・ホワイト』新潮文庫、2017年
※深田晃司『海を駆ける』文藝春秋、2018年
※石井遊佳『百年泥』新潮社、2018年
※下村敦史『フェイク・ボーダー 難民調査官』、『サイレント・マイノリティ 難民調査官』光文社、2019年
※相場英雄『アンダークラス』小学館、2020年
※帚木蓬生『ソルハ』集英社文庫、2020年
※アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』(2019年)『マハラジャの葬礼』(2021年)早川書房
※ヤンシィー・チュウ『夜の獣、夢の少年(上)(下)』東京創元社、2021年
※ディー・レスタリ『スーパーノヴァ 騎士と姫と流星』上智大学出版、2021年
※月村了衛『機龍警察 白骨街道』早川書房、2021年
※手嶋龍一『鳴かずのカッコウ』小学館(2021年)、『武漢コンフィデンシャル』小学館(2022年)
※真山仁『タングル』小学館、2022年
※アフマッド・トハリ『赤いブキサル』大同生命国際文化基金、2022年
※井上治『インドネシア領パプアの苦闘―分離独立運動の背景』めこん、2013年
インドネシア領パプア(ニューギニア島の西側半分、西パプア州とパプア州)において、今も分離独立運動が続いていることを知る人は少ないかもしれない。1969年に旧オランダ領からインドネシアに併合されて以来、半世紀を超える分離独立運動は、
スハルト軍事政権下の激しい弾圧の時代を経て、民主化・地方分権化の時代に入っても沈静化する兆しはない。現在でも独立運動や教会の指導者に対する軍・警察による殺害事件、先住のキリスト教徒パプア人と国内移民のイスラーム教徒ジャワ人の民族抗争も跡を絶たない。
ジョコウィ現政権は、自治権拡大やインフラ開発などの宥和政策をとるが、功を奏しているとは言い難い。パプアは、インドネシアの国民統合を考える上で最も重視すべき地域のひとつである。
本書は、これまでほとんど知られていないパプア分離独立闘争の歴史を概観し、「なぜパプア人は民族自決権を要求し続けるのか」を明らかにしようとしている。
叙述内容は、パプアのインドネシア併合の経緯、分離独立運動の変遷、パプア民族と国内移住民の確執、鉱山業の開発独占権を持つ米系資本フリーポート社、深刻化する人権問題、民主化後のジャカルタ中央政府の対応、
国内外のパプア人代表から成る「パプア住民会議」の独立要求(2000年)、パプア特別自治法(2001年)成立の経緯と概要、「パプア住民協議会」の内実、などである。とくに民主化後から2010年代初めまでの政治過程の解説が詳しい。
また、パプア民族(メラネシア系)が、他のインドネシア諸民族(マラヤ系)に比して特異な歴史を辿ってきたこと、インドネシアへの併合には国際社会(アメリカ、オランダ、国連など)の責任も大きいことなど、注目すべき指摘も散見される。
ただし、叙述のほとんどが既存の文献や新聞・雑誌報道に依拠しており、分離独立派や一般住民の生の声はほとんど伝わってこないという難点もある。また分離独立問題では経済的側面からの検討も重要であるが、本書には経済関連の基礎データも示されておらず、
今後の開発のあり方を考える素材が提示されていないのは惜しまれる。
※野中葉『インドネシアのムスリムファッションーなぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか』福村出版、2015年
本書は、1980年代から始まった高学歴女性のヴェール着用の動向に焦点を当て、その歴史的変遷と女性たちの意識改革の実際を豊富な現地取材によって提示したものである(ヴェールの現地名称も時代状況とともにクルドゥン→ジルバブ→ヒジャーブと変化)。
日本のようにイスラームへの理解が乏しい国において、イスラームが女性蔑視の宗教であり、女性はヴェール着用を強制されており、ヴェールを外すことが女性解放に繋がるといった誤解・偏見を払拭することも意図されている。
著者の主張は、大学在学生・既卒者を中心とする高学歴女性へのインタビューに基づいて、女性たちがイスラーム(特に聖典クルアーン)を深く学ぶことによって、主体的・自覚的にヴェール着用を選択し、イスラーム実践による自己変革と社会改革を目指したという点にある。
ヴェール着用する女性たちは、自ら敬虔で品行方正、内面の美しさを主張できると考えているという。決して過激派に傾倒しているわけではなく、男性優位とされるイスラーム社会から強制された結果でもないということになる。これらの結論は、丹念な実証の成果として評価されるべきであろう。
読後の感想・疑問点として2点記しておきたい。ファッション重視でカラフルなヴェールを纏うようになった女性たち(主に都市部中間層)とヴェール着用しない同世代女性たちとでは、イスラーム認識にどのような違いがあるのだろうか。
また、民主化後、グローバリズムに包摂されるインドネシアにおいて、女性のヴェール着用の実態を踏まえると、著者は「イスラーム復興」「イスラーム回帰」と言われる社会現象を総体としてどう捉えているのか、これも知りたいところである。
※K.ポメランツ『大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』名古屋大学出版会、2015年
本書は、2000年の原書出版以来、グローバル・ヒストリー研究の興隆の中で最も注目を集めた著作であろう。なぜイギリスで最初に産業革命が起こったのか、
社会経済史研究にとって古くて新しいテーマであるが、本書は先行研究とは異なる斬新な見解を提示して物議を醸した。
周知の結論を、念のため以下に要約する。@18世紀半ばまでのイギリス(イングランド)と中国(長江デルタ)における経済発展の水準(生活水準、所得水準)にはほとんど差がなかった。
A18世紀後半には、両地域ともに食糧・燃料、工業原料生産地の不足に直面していた。Bイギリスにおける産業革命の勃興(大分岐)は、化石燃料(石炭)とアメリカ大陸への資源アクセスという偶発的な「授かり物」の存在によるもので、
これが近代工業化へのブレイクスルーとなった。
上記の結論もさることながら、本書の分析で注目したいのは、産業革命前の西ヨーロッパ(イギリス)の経済発展について、固有の内在的要因に求めて高く評価する既存の社会史・経済史・経営史の大家たち(F・ブローデル、I・ウォーラーステイン、D・ノースなど)の所説を、
ヨーロッパ中心史観として鋭く批判している点である。また著者によれば、ヨーロッパによるアジアの富の収奪こそがヨーロッパの経済発展を可能にし、アジア経済を停滞させたという従属学派の分析も一面的なアジア認識ということになる。
いずれにしても、戦前・戦中はもちろん、戦後もヨーロッパ中心史観=オリエンタリズム(それと表裏するアジア停滞史観)に呪縛されてきた日本の歴史学会に対して、本書は刺激的な問題提起と言えるだろう。
(なお、オリエンタリズム批判の歴史研究に関しては、「トピックス」のページに掲載している「オリエンタリズム批判のアジア歴史研究」を参照されたい。)
※高野さやか『ポスト・スハルト期インドネシアの法と社会』三元社、2015年
本書は、スマトラ北部の地方都市メダンをフィールドとして、国家法(フクム)と慣習法(アダット)の運用方法と両者の関係を明らかにすることを課題としている。
その課題を通して、スハルト体制崩壊後に進展した地方分権とアダット復興の中で国家法と慣習法の関係を捉え直し、慣習法の独自の存在意義を強調する法人類学研究の法多元主義のあり方を再検討することも意図されている。
実証的には、2004年〜2006年に実施されたメダンでの情報・資料収集によって、地方裁判所の訴訟事例の分析、地裁におけるADR(裁判外紛争処理)制度の受容過程、メダン近郊のプランテーション用地をめぐる土地紛争の経緯を追っている。
結論的には、国家法と慣習法の境界は絶対視できるものではなく、両者は区分されないまま境界が「不断に引き直される」状況にあるという。
法人類学の先行研究に対する本書の貢献については、評者は門外漢なので論評は控えたい。インドネシア研究の立場から言えば、実証のフィールドとして特定の民族集団のアダットが支配的ではない多民族都市メダンを取り上げているが、
果たしてメダンがインドネシアの典型例となり得るのか、アダット復興が顕著なジャワやバリなど、特定のアダットが優勢な他地方との比較検討が不可欠であろうと思われる。
また、民主化後に進展したのはアダット復興だけではなく、とりわけ顕著なのはイスラーム復興であろう。国家法と慣習法の2者関係ではなく、国家法・慣習法・イスラーム法の3者関係の分析こそが、この国の法体系を理解するカギであろうと思われるが、
本書ではほとんどイスラーム法が取り上げられていない。法人類学研究にとってイスラーム法はいかに位置づけられるのであろうか。
※園田茂人、デヴィッド・S・G・グッドマン『チャイナ・インパクトー近隣からみた「台頭」と「脅威」』東京大学出版会、2018年
2013年に発足した中国の習近平政権は、「一帯一路」と「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」の構想を着々と進めており、その対外膨脹と軍事大国化をもって、覇権主義・中華帝国復活を目指しているとの見方も少なくない。
それでは、アジア近隣諸国は、こうした中国の台頭をどう見ているのか。
本書は、今世紀の中国の台頭をめぐるアジア諸国の反応と対応について、各国の中国問題専門家が分析した論文集である。対象は、台湾、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、オーストラリアの6カ国である。
本書によれば、各国の中国認識は、国ごとに多様であるだけでなく、一国の中でも階層や世代、政治的価値観などの相異によって一様ではない。時間の推移(中国関連の重大事件、自国の政権交代など)とともに対中認識に変化が生まれることもある。
編者は、チャイナ・インパクトを規定する要因として、経済・国際環境・社会文化の3点を挙げている。各国の分析結果は多岐に亘るが、概して言えば、経済要因では、ベトナム、タイ(軍事政権)、インドネシアが台中関係の緊密化を肯定的に捉えているのに対して、
他の国々では警戒的である。国際関係では、米中間の覇権抗争の中で、アメリカの軍事的脅威を重視する国(ベトナム、タイ)とそうでない国(台湾、オーストラリア)では中国対応が分かれる。
南シナ海での中国による行動に対しては、概して警戒的な国が多い(ベトナム、フィリピン、インドネシア)。社会・文化的要因に関連して、華人系住民が多い東南アジアの国々(タイ、マレーシア、インドネシア)でも、世代や当該国の民族間関係のあり方によって、中国認識は異なっている。
本書の対象となっていないアジアの国々について言えば、カンボジア・ラオス・ミャンマー(軍事政権)が中国と緊密な関係にあることは周知のところである。
近隣の韓国やシンガポールは勿論のこと、今後の高度成長が予測されるインド、西アジアの大国であるイランやトルコの対中関係の分析も不可欠であろう。
いずれにしても、様々の側面で対中関係の温度差が大きいことは、アジアで進展しつつある地域協力のあり方を考える際にも、知っておくべき基礎知識であることは疑いない。
※早瀬晋三『グローバル化する靖国問題―東南アジアからの問い』岩波書店、2018年
ASEAN(東南アジア諸国連合)は、今世紀に入ってアジアの地域協力で存在感を高めつつある。2015年にASEAN経済共同体を発足させ、次に政治安全保障共同体と社会文化共同体も近々実現させる予定であり、
さらに日・中・韓を加えた「ASEAN+3」の地域協力にも積極的で、いまや東アジアの地域協力に主導権を発揮しようとしている。こうしたアジアの国際環境の変化を踏まえて、
本書は「(東南アジアを含む)東アジアという地域から日中・日韓の歴史問題をみることによって地域の安定と発展の道筋を考えること」を課題としている。
本書の主要な情報源は、ASEAN各国の英字新聞の報道である。著者によれば、2000年代に入ると各国の新聞報道では、日中・日韓の歴史問題に関する社説や専門家の解説などの記事が増加し、日本に対する独自の批判的な論調も見られるようになっている。
1980年代に始まる靖国問題が教科書問題や領土問題とも連動して、東アジア全域の歴史問題として報道されているという。ASEANにおける日本の経済的プレゼンスの後退と中国の影響力拡大という事態の中で、
日本と中・韓の歴史問題を2国間にとどめず、東アジアの地域問題として捉えようとの機運が高まっているという。
著者の主張は、これまで地域紛争を解決・回避してきたASEANの手法に学び、ASEAN主導の東アジア地域協力の枠組みの中で、日本は、出口の見えなくなっている中・韓との歴史問題に対処すべきという点にある。
本書は、主に新聞報道に依拠した分析であり、その点での限界も感じられる。ASEANの当事者たち(政策立案担当者)が日本と近隣諸国の歴史問題にどれだけ自覚的であるのか、これまで「親日的」とみられてきたASEAN各国において、
日本への国民感情がどれだけ変化しているのか、巨大化する中国の覇権主義に対してASEANは地域協力でどこまで主導権を発揮できるのか、日本(政府)が東アジアの地域協力という観点から過去の歴史問題に真摯に向き合うことになると言えるのか、
これらの点はなお検討の余地があるように思われる。
※太田恭彦『プラナカンー東南アジアを動かす謎の民』日本経済新聞出版社、2018年
東南アジア各国に定住している中国系住民は、中国と東南アジアの長い歴史的関係の中で、主に中国南部(福建、広東)から移住した人々の子孫である。「交易の時代」(15世紀〜18世紀)には主に海域商人たちが、
19世紀以降は大量の労働移民が東南アジア各地に移住した。そうした中国系住民をプラナカン(Peranakan)と呼ぶことがある。
本書は、著者がシンガポールを中心にプラナカンを自称する華人系上層の人々を対象に、彼らの生活・文化様式を取材(2015年〜2018年)した記録である。取材内容は多岐にわたり、リー・クアンユー一族、プラナカンの私設博物館や専門店、
日本占領期の軍部による軍資金調達や虐殺事件、マラッカ・ペナン(マレーシア)やプーケット(タイ)の富裕層、伝統建築・料理・衣装・アンティークの諸様式、など幅広い。
著者がプラナカンと呼ぶのは、19世紀までに東南アジアで商業活動に従事した中国人と現地人の妻との混血児およびその子孫で、後に富裕な実業家やエリート層となった人々である(男性をババ、女性をニョニャという)。
本書でもプラナカンは「一般華人から知識層・富裕層を区別する概念」、シンガポールにおいて「プラナカン人口は数万人と推定される」と指摘している。
しかし、プラナカンとは、かなり曖昧な概念であり、明確な定義があるわけではない。時代・地域によっても捉え方が異なり、多義的な用語であることは留意すべきである。
例えばインドネシアでは、「現地生まれで、現地語を話す」中国系住民をプラナカンと呼ぶこともある(「中国生まれで、中国語を話す」華人はトトック)。インドネシアの華人人口ではプラナカンがおよそ85%を占めるが、
華人財閥の多くはトトックであると言われる。ただし、使用言語や混血の度合いは多様であり、華人系住民を何らかの基準で区分するのは容易ではない。
著者が取材対象のプラナカンを「謎の民」「神秘的」などの表現で形容するのには違和感もあるが、本書によってシンガポール・マレーシアなどの華人系上層の歴史や生活実態の一端を知ることはできる。
また、本書は、東南アジアの華人系住民をカテゴライズする難しさを考える素材ともなるだろう。
※小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋、二つの植民地体験』岩波書店、2019年
本書は、中島敦(1909〜1942)の作品を通して「日本人の植民地体験を追体験する」ことをテーマとしており、中島が滞在した朝鮮と南洋が舞台である(朝鮮については第1章のみで、大半[第2章〜第5章]は南洋関連の記述に当てられている)。
朝鮮滞在中の中島については(京城中学校、1922〜1926年)、中学校時代の体験と記憶を基にした作品群を追うことで、中島が当時の現地の政治や社会問題に鋭い目を向けていたことが明らかにされている。
中島と南洋の関わりについては、まず南洋出発前に執筆された『光と風と夢』に注目している。この作品で中島は、スコットランドの文豪で晩年はサモアで生活したスティーブンソンについて書いており、
ドイツのサモア支配に批判的なスティーブンソンに共感していたという。そこでは、スティーブンソンを媒介させることで、列強の抗争に巻き込まれた現地人が互いに戦闘を繰り返す悲惨なサモアの歴史が描かれている。
中島は、1941年にパラオ諸島(日本の国際連盟委任統治領、事実上の日本植民地)コロール島の南洋庁に「南洋庁編修書記」として赴任した(1941〜1942年)。着任後は、パラオ諸島やトラック諸島での視察を基に『南洋の日記』を書き残しており、
南洋を「未開」とする一般認識や植民地支配を「近代化」として正当化するような見方には与しなかった。南洋庁の植民地官僚の末端にありながら、現地民を徴用して戦争準備を進める日本軍にも批判的であったという。
帰国後の晩年には、時局に奉仕する文学(者)に鋭い批判の目を向けていたことも指摘されている。
本書は、シリーズ「日本の中の世界史」の1冊として執筆されており、それ故であろうと思われるが、中島の足跡だけではなく、南洋をめぐる列強の植民地化の経緯や、南洋に深く関わった人物たちについても詳しく紹介されている。
読後の感想を言えば、中島の作品群の時代背景や中島自身の時々の問題関心が鮮明になっていて興味深いが、南洋をめぐる世界史的動向やそれに関わる人物の叙述と中島敦の接点が必ずしも明解とは言い難く、
また植民地体験をもつ日本人の中にあって文筆家に限っても中島は例外的存在ではなかったのかとの印象も拭えない。
※林英一『南方の志士と日本人―インドネシア独立の夢と昭和のナショナリズム』筑摩書房、2019年
本書は、1933年にインドネシアから日本に渡った2人の留学生(ウスマンとガウス、ともにミナンカバウ出身)を主人公として、2人のインドネシア独立の志士の足跡と知られざる日イ関係史の一面を再現し、
「インドネシア独立と昭和ナショナリズムの相克を浮かび上がらせる」ことを課題としたノンフィクションである。
主な記述内容は、2人の経歴と日本留学の経緯、日本での政財界・右翼の有力者との交流、大アジア主義への傾倒、ウスマンの日本人女性との恋愛・結婚(ウスマン、36年帰国)、医師ガウスのシンガポール帰国(39年)、ウスマン夫妻の日本軍政下パダンでの対日協力、ガウスのシンガポールでの対日協力、
ウスマンの内閣情報局通訳としての再来日(43年)、戦中・戦後ウスマンの日本での祖国独立支援、ガウスのシンガポールでの祖国独立支援などである。
本文はウスマンに関する記述が大半を占めており、著者によれば、ウスマンは「大東亜共栄圏」の一員を自負しつつ、その積極的な対日協力はあくまで独立のための手段に過ぎなかったということになろう。
本書では、戦前インドネシア人留学生の関係者へのインタビュー調査や関連史料の渉猟によって、新たな史実も多数発掘されており、その点は労を多としたい。
しかし、結論は必ずしも明解とは言い難い。戦前・戦中日本の「大東亜共栄圏」構想に連なる大アジア主義とインドネシア独立運動との関係性をどう捉えているのか、著者の見解は必ずしも判然としない。
また、日本の植民地支配による甚大な負の遺産についての言及も極めて限定的である。本書を読了して、日イ関係史研究の方法態度について、改めて考えさせられた。
※古田和子(編著)『都市から学ぶアジア経済史』慶應義塾大学出版会、2019年
本書は、アジア経済(史)を専門とする12名の慶應義塾大学のスタッフによる論文集である。取り上げている都市は、蘇州、プネー、バタヴィア、シンガポール、登州、上海、長崎、香港、台南、羅津、深セン、バンコク・ホーチミンであり、
対象とする時代は16世紀から21世紀まで都市ごとに異なる。編者は、本書の課題として「その都市がその時代にどのような位置を占めたのか」「アジア経済史としてどのような意味を持つ存在であったのか」を検討することとしている。
以下では、とくに興味深く読んだ論考に絞って簡単に紹介しておこう。
「プネー インド西部における政治都市の経済発展―マラーター同盟下の18世紀」(第2章、小川大)は、18世紀のムガル帝国衰退期にイギリス東インド会社と対峙した在地の最大勢力=マラーター同盟の中心都市プネーに注目する。
プネーは、18世紀(近世)に新興政治=金融都市として台頭し、それが19世紀のイギリス統治に継承されたという。ウエスタンインパクトに対して、インド側の発展的契機を重視して都市経済を見直す視点が打ち出され、
インド経済史における18世紀史の再検討を主張している。
同様の問題関心による論考に「シンガポールと東南アジア地域経済―19世紀」(第4章、小林篤史)と「上海 交易と決済、市場と国家―18世紀〜20世紀初頭」(第6章、古田和子)がある。
イギリスをはじめとした西洋によるアジア経済の再編を「近代アジア」と捉える枠組みに対して、18世紀以降のアジア国際経済の発展を前提として、アジアの都市経済が植民地支配下でどのように主体的に対応しようとしたのかを提示する、
西洋中心的なアジア認識への反省を迫る論考である。
現代の都市経済では「イノベーションの首都 深セン―20世紀末〜21世紀初頭」(第11章、丸川知雄)が、深センの変貌に注目している。中国の「改革開放」以来、「経済特区」第1号として農民工に依拠した労働集約型工業化を主導し、
「世界の工場」の拠点となった深センが、今世紀に入ってイノベーション都市へと変貌できた要因を探っている。深センのハイテク都市化は、1996年に始まる(第9次)5カ年計画で華為や中興通訊が実験企業として指定されたことが画期となった。
急速にハイテク化するうえでの優位性として、人材・資金・部品・材料等の資源を中国内外から集める好立地、特に香港に隣接して関税なしの資源調達、中央政府の規制が比較的緩やかで技術革新が起こりやすい経営環境、
大学などの公的研究機関ではなく民間企業主導の研究開発などが指摘され、これらの条件が重なった結果として深センのイノベーション都市化を説明している。
本書は、時代もテーマも異なる論文集であるが、それならば既存のアジア経済史研究に対して、本書の成果を上記の課題に即して総括するような、まとめの論考がほしかった。そうすれば今後の研究課題も一層明瞭になったであろうと思われる。
※浅井亜紀子・箕浦康子『EPAインドネシア人看護師・介護福祉士の日本体験―帰国者と滞在継続者の10年の追跡調査から』明石書店、2020年
EPA(経済連携協定)に基づくインドネシア人・フィリピン人の看護師・介護福祉士の受入が2008年に始まっている(2008年〜2017年に合計2116人)。
同制度が、日本における看護・介護の労働環境(低賃金と重労働)ゆえの人材不足を補う目的でスタートしたこと明らかである。先行の技能実習生(当初は研修生)制度が、ブローカーの介在、極端な低賃金、職場のパワハラ、
失踪などの頻発で大きな社会問題となってきたのに対して、EPAでの来日では、政府機関の一元的管理(ブローカー介在の余地無し)、研修期間の生活保障、国家試験受験支援などの点で改善されてはいる。
それでも日本人と同じ国家試験に合格する必要があり、漢字の専門用語の難解さなどのために合格率の低いことがマスコミなどでも報じられた。
本書では、来日したインドネシア人看護師・介護福祉士(候補者)を10年間(2009年〜2018年)にわたって追跡調査し(長期の調査対象者は看護師17名、介護福祉士17名)、SWB(主観的ウェルビーイング)という文化心理学の手法によって分析している。
これは、渡日者の初期異国体験から長期滞在中および帰国後まで、仕事や生活環境に対する自己意識の変化や自己再編のプロセスを、時間の経過を追って測定するという方法である。
ここでいうウェルビーイングとは、「身体的・精神的・社会的に満たされた状態」をさす。著者によれば、この方法は単に外国人の異文化適応という視点だけでなく、多文化共生社会の実現という視点からアプローチできるメリットがあるという。
通読してみて、調査対象者の様々の発言がどこまで本音で語られているのか疑問はあるものの、彼らの自己認識や時間経過による心理的変化の様相は興味深い。また、試験合格者でさえ3年を経ないうちに帰国する者が4割強もいるという事実や、
帰国後に看護師の仕事を継続する者は2割程度で技術移転は進んでいないといった指摘もあり、改善すべき課題も多いことが分かる。
いずれにしても日本の少子高齢化と労働市場の逼迫(需給バランスの歪み)を考えると、今後一層の外国人労働者の受入は不可避であり、外国人の労働環境の改善(少なくとも日本人と同程度の労働条件と社会保障の付与)は喫緊の課題であろう。
※杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会、2020年
著者の前著『アジア間貿易の形成と構造』(1996年)が19世紀末〜1930年代のアジア間貿易を主題としたのに対して、本書は、長期の世界経済史(16世紀〜現代)の中で「アジアの奇跡」を論じている。
本書の狙いは「世界史を根本的に見直し、ヨーロッパを焦点とする世界史から東アジアを焦点とする世界史へと我々の視点を転換すること」にあるという。西洋中心史観の克服とグローバル・ヒストリーの研究潮流に位置づけられよう。
実証分析には、比較史および国際経済関係史の視点から膨大は資料が利用されている。論点は多岐に亘るが、以下の諸点に注目したい。
資本集約的なイギリス産業革命に始まる西洋型発展経路が、労働集約的な東アジア型発展経路と融合して、第2次大戦後の日本・NIES・ASEAN・中国における爆発的な成長を実現させた。ここに「東アジアの奇跡」の画期性があるという。
つまり、西洋主導の工業化経済成長論ではなく、またウエスタンインパクトによって強制されたアジアの停滞論でもなく、西洋型と東アジア型の融合、およびアジア側の技術や制度の個性的な発展の有り様に「東アジアの奇跡」を見ていると言えよう。
同時に、西洋型発展経路は資源集約的工業化、東アジア型発展経路は資源節約型工業化である点にも着目している。
そして今日のアジア太平洋経済圏の興隆は、東アジアを世界経済の周辺から中心へと移行させ、東アジアの世界経済への貢献が政治・経済・文化の全ての分野で強化されたと見ている。これを敷衍すれば、資源節約的な東アジア型発展経路は、
東アジア以外の非ヨーロッパ世界における今後の発展モデルということにもなろう。
本書の成果をアジア地域経済史(あるいは一国経済史)の研究に活かすとすれば、本書の仮説である複合的な「経路発展論」をどのように取り入れるのかということになり、これは充分に検討に値すると思われる。
また、現代のIT・デジタル技術からIoT・AI・ビッグデータ(いわゆる第4次産業革命)に至る急激な発展が、今後「東アジアの奇跡」(東アジア型発展経路)をどのように変化させるのか、
そこでは資源節約的な東アジア型が持続可能な発展経路であり続けるのか、こうした論点も浮かび上がってこよう。
※石弘之『砂戦争―知られざる資源争奪戦』角川新書、2020年
世界中で消費される砂は毎年500億トンに達し、過去20年間で5倍になっている。地球上で採掘されている地下資源の85%は砂であり、化石燃料の消費量(石油換算)の3〜4倍になる。採掘される砂の70%は建設用コンクリートの骨材であり、
とくに途上国の建設ラッシュが砂の需要拡大に拍車をかけ、いまや砂は枯渇しつつあるグローバルな希少資源になっているという。本書は、砂資源の争奪戦に注目した貴重なレポートである。
水や空気とともに貴重な天然資源である砂に関して、その採掘・取引を規制する国際条約は存在しない。砂の国際的な争奪戦では、違法採掘で大小様々な「砂マフィア」が暗躍し、その結果は海岸浸食、生態系破壊、水産資源の枯渇など深刻な環境破壊を招いている。
本書では多くの事例が紹介されており、その多くはアジア、中東、アフリカなどの途上国に関わるものである。例えば、世界最大の砂輸入国であるシンガポールでは、1965年の建国以来、隣国インドネシアからの砂輸入(年間600万トン〜800万トン、90%をインドネシアから輸入)によって、
国土の4分の1を砂による埋め立てで拡大してきた。今世紀に入ってインドネシア政府が砂輸出を規制すると、輸入元はマレーシアやカンボジアにも拡大し、インドネシアも含めて密輸業者による輸出も後を絶たなくなった。
海砂が不法採掘されたインドネシアの島々では、海の汚染が深刻化しているという。世界のコンクリート骨材の約半分を消費する中国では、国内の砂の枯渇に伴い、台湾近海(台湾の排他的経済水域)での浚渫船による砂の不法採掘を強行しており、
これが台中関係の緊張を高める要因のひとつともなっている。これらの事例紹介の他に、本書では、砂の分類や用途、「建築に使えない砂漠の砂」の説明なども有益である。
※植田浩史・三嶋恒平(編著)『中国の日系企業、蘇州と国際産業集積』慶應義塾大学出版会、2021年
本書は、中国・長江経済圏の中心都市のひとつである蘇州市に進出した日系企業の経営戦略を分析対象としている。編者によれば、2005年〜2019年まで実施された現地調査に基づく共同研究とのことである。
蘇州市への日本企業の進出は、2000年代半ばまで電子関連企業が主役であったが、2000年代後半からは自動車産業が増加しており、本書でも主たる分析対象は自動車関連企業(階層化した部品サプライヤ)となっている。
自動車部品産業(第U部、主に1次サプライヤ)の経営戦略については、以下の諸点が指摘されている。独立系サプライヤが主力だが、日系完成車企業との長期取引が継続していること、自動車関連の増加に伴って製品の輸出から中国国内市場の開拓へと戦略が変化したこと、
労働需給の逼迫から資本集約工程へシフトしていること、地場系完成車企業との取引はそれほど進展していないこと、国際戦略では日系完成車企業のGVC(グローバルバリューチェーン)分業体制に適応していること、
蘇州では製造機能に特化し研究開発は日本本社・開発拠点に依存していること、などである。
日系中小企業(第V部、主に2次以下のサプライヤ)に関しては、進出形態としてパートナー型(取引企業の随伴進出)と日本供給型(日本への逆輸出)が中心であること、顧客の経営動向や操業環境への対応に苦しんでいること、
地場企業との激しいコスト競争・品質競争の中で設備・人材の現地化によって事業継続を図っていること、中には量産体制でマザー工場化する企業も現れ、それに伴って日本本社との関係やグローバル分業の構造変化が見られること、
などの諸点が指摘されている。
読後の疑問点として、以下の2点を指摘しておこう。@編者は本書の特徴として、大手日系企業だけでなく、その下位に位置する日系中小企業も分析対象としていることを強調している。しかし、既にアジア(中国を含む)に進出した日系中小企業に関して多くの研究蓄積があるにもかかわらず、
先行研究の整理と検討が十分ではないため、既存研究との対比でどのような新たな成果・論点が追加されたのか必ずしも判然としない。1次サプライヤも含めて、アジア日系企業の経営に関する先行研究の総括的検討と到達点を踏まえて、
本研究の特徴を明示すべきであろう。Aアジア日系企業の経営戦略の研究課題のひとつに「日本的経営・生産システムのアジア的適応」に関する問題群があるが、本書には現地人労働者の人材育成・労務人事管理に関する分析がほとんど見られない。
日系企業が現地定着を図るうえで、現地人労働者に対する日本的な雇用・人材管理・生産方式の適応如何は最重要課題であるが、残念ながら本書にはかかる視点が十分とは言えない
(「日本的経営・生産システムのアジア的適応」問題に関しては、本ホームページ「トピックス」の該当箇所を参照されたい)。
※リチャード・ロイド・パリー(濱野大道・訳)『狂気の時代―魔術・暴力・混沌のインドネシアをゆく』みすず書房、2021年
著者は、英『ザ・タイムズ』紙アジア編集長および東京支局長である。原書は2005年に出版されており、1990年代後半の政情不安定なインドネシアの中でも特に紛争地域の丹念な取材によって、ジャーナリストとして著書の評価を高めたノンフィクションである。
本書は3部構成となっており、第1部(「恥に近い何か、1997年〜1999年ボルネオ」)は、西カリマンタン州におけるダヤック人・マドゥラ人・マラヤ人の三つ巴の民族紛争、第2部(「放射する光 1998年ジャワ」)は、1997年〜98年のアジア通貨危機(クリスモン)に連動したジャワ各地での反スハルト暴動、
第3部(「サメの檻 1998年〜1999年東ティモール」)は、独立に向かう東ティモールが舞台で、独立派ゲリラ組織(東ティモール民族解放軍)とインドネシア軍から武器供与された統合派民兵集団との抗争や、民兵集団による住民・難民への暴行・虐殺など、
いずれも丹念な取材で緊迫した当時の現場が再現されている。
本書は、1997年〜1999年のインドネシア各地で起こった騒擾や暴力が主要なテーマであり、緻密な取材によって描かれた臨場感は読者に訴えるものがある。それ故、本書はジャーナリストによるノンフィクションとして評価されてよいだろう。
ただし、社会科学を専門とする私の視点からは、インドネシアが抱える構造的問題への切り込みが弱いという印象は拭えない。西カリマンタンの民族紛争では、なぜ行政と軍・警察が民族間対立の調整・和解に積極的に対応しないのか、
軍部主導のビジネスがマドゥラ人を労働者として意図的にカリマンタンに移住させていることへの言及などはほとんどない。異教徒間だけでなく、イスラーム教徒同士(マラヤ人vsマドゥラ人)の民族対立は、多民族国家の国民統合にとって深刻な問題であるが、
そういった問題関心も希薄である。ジャカルタでの騒擾に関しても、民衆暴動がいつも反華僑暴動に変質するのは何故か、華人問題(とくに華人有力者と政権・軍部との関係)への言及はほとんどない。
東ティモールに関しても、先進国(著者の母国はイギリス)が戦後インドネシアの開発にどのように関わり、東ティモールはどのような国際関係に置かれていたのか、全体として住民の大量虐殺を巡る諸勢力の歴史的関係を見抜く視点も弱いようである。
※アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジアー歴史を変える交差路(上)(下)』名古屋大学出版会、2021年
著者の前著『大航海時代の東南アジア(T)(U)』(法政大学出版局、1997年、2002年)は、東南アジア近世の「交易の時代」論を提起した研究として周知のところであり、アジア海域経済史の研究に大きな影響を与えてきた。
オーストラリア歴史学会の重鎮である著者は、本書によって東南アジアの通史を新しい視点から総合的に捉えようとしている。
著者は、東南アジアの歴史を学ぶ意義として、その多様性に加えて以下の3点を指摘する。@この地域の地殻プレートの衝突が、世界全体の気候と人類の生存を直接左右すること、A女性が経済的社会的に自律的であったこと。
B非国家的な社会組織が重要な構成要素であること(とくに人口の多数が暮らす肥沃な内陸部)。Bに関してやや敷衍すると、歴史叙述にあたって非国家的な諸体系(親族関係、宗教、技芸と表演、儀礼と経済的互酬関係など)への偏見を捨てること、
国民国家中心史観を克服することの重要性を強調する。東南アジアの多様性を理解するには、ヨーロッパや中国の歴史叙述にみられるような、文明と国家を結びつける歴史叙述は放棄しなければならないと言う。
そして、東南アジアは、独自の価値をもつ独特の環境にあり、上の@〜Bの要素ゆえに世界史上の「決定的に重要な交差路」になってきたとも言う。
このような課題意識を踏まえて本書は、政治史・経済史・社会史にとどまらず、地質学から人類学・民俗学に至るまで幅広い研究成果を取り入れ、総合的な東南アジアの全体史を描くことを狙いとしている。
ちなみに、筆者が専門とする経済史に関する具体的な叙述箇所に注目すると、既存研究の成果は丹念に渉猟しているものの、史実の新たな解釈や方法論的な問題提起などはほとんどなく、無難に纏められているという印象が強い。
やはり本書の特徴は、学際的な東南アジア総合史への挑戦にあると言えよう。
※※加藤久典『インドネシアー世界最大のイスラーム国』ちくま新書、2021年
本書副題にもあるように、インドネシアは世界最大のイスラーム教徒(ムスリム)を擁する国であるが、中東・西アジア諸国のイスラーム世界とは異なり、多文化融合型のイスラームであるとよく言われる。
そこでは、歴史的な経緯からして、精霊信仰に始まりヒンドゥー・仏教文化の上にイスラーム文化が重ね置かれたような、独特のイスラーム世界を形成しており、いわゆる穏健派ムスリムが圧倒的多数を占めているという。
多民族・多言語・多宗教の融合を目指し、「多様性の中の統一」を国是とするインドネシア共和国は、シャリーア(イスラーム法)を国法とするイスラーム国家ではない。
本書の特徴は、現代インドネシアにおける様々なイスラーム指導者やイスラーム法解釈の動向を紹介しながら、時代と共に変化するイスラーム教の実像を捉えようとしている所にある。
例えば、スハルト独裁時代に活躍した著名な2人のイスラーム指導者=政治家であるアミン・ライス(近代派=原理主義派)とアブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル、伝統派=穏健派、第4代大統領)、
更に今世紀に入って注目されている若手の自由主義派指導者、一部の過激派集団を代表する教条主義派指導者、イスラーム・フェミニズムの女性指導者など、多様なムスリムたちの教義解釈と実践の特徴が紹介されている。
また、インドネシアが直面している現代的な社会問題、例えば臓器移植やトランスジェンダー(LGBT)など、コーランやハディースに依拠できない現代的諸問題にイスラーム法学者はどう対処しているのか、これらへの言及も有益である。
著者自身は、「インドネシア独自のイスラーム」を追求したグス・ドゥルの思想、それを継承した現代の「イスラーム・ヌサンタラ運動」に共感しているように読み取れ、評者もこの点は同感である。
ただし、イスラーム世界を「イスラーム社会」と「ムスリム社会」、「教条主義」と「自由主義」に2分して説明する著者の方法は、両者の定義と境界が曖昧なうえ、幅広いムスリムたちの教義解釈と実践活動の実像を捉えるのに有効な方法とは思えない。
また、穏健なムスリムが多数のインドネシアでも、民主化の時代に入って一層イスラーム回帰が顕著になっているはなぜなのか、この点について著者の纏まった説明もほしかった。
一般的には、スハルト独裁政権下で押さえ込まれていたイスラームの、民主化と「表現の自由」に伴う反動との見方や、欧米主導のグローバリズムに対抗して、平等と弱者救済を根本原理とするイスラームの復興が顕在化しているとの見方もあるが、
果たしてそれだけであろうか。「時代と共に変化するイスラーム」という視点からすれば、イスラーム回帰はどのように捉えるべきであろうか。
※邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃―日本人だけが知らない巨大経済圏の真実』日経BP、2021年
本書は、「チャイナ・アセアン」こそがアジア経済の未来であるとの立場から、中国の勢力圏下に呑み込まれる「チャイナ・アセアン経済圏」=「大中華経済圏」の実像に迫ろうとしている。
著者によれば、中国の現政権は、「新常態」から「双循環」(内需と外需の好循環)へという新戦略の下、アジアのもう一つの巨大経済圏であるASEAN経済共同体を包摂して「大中華経済圏」の建設を着々と進めているという。
今世紀の世界経済は「アジアの世紀」と言われており、その正体は「大中華経済圏」ということになる。主な分析は、中国とアセアンにおける貿易・投資など経済関係の急拡大、両者に見られるギガ都市群の形成と緊密な連携、
GAFAをも超えるような中国の越境ECの台頭、アセアンにおける華人財閥系企業の実力とその国際ネットワークによる中国本土との連携強化、など多岐に亘る。
確かに安全保障・軍事面におけるアメリカのアジアでのプレゼンスの後退、日本経済の低迷を背景としたアセアンでの日本企業の影響力低下は明かであり、対照的に中国は「一帯一路」戦略の主戦場のひとつと位置づけるアセアンに対して、
経済のみならず政治・軍事面での覇権を一層強化しようとしている。しかし、アセアンを構成する国々の間では、中国との距離感に大きな相異があり、全体として見てもインフラ投資による「債務の罠」や領土問題に対する中国への警戒心も依然として根強い。
アセアンの対外戦略である全方位の今後の方向性も見極める必要がある。今後の急成長が見込まれる人口大国インドやITで最先端技術(主に製造部門)を先導する台湾など、アジア経済は中国とアセアンのみでは語れない。
いずれにしても「中国に呑み込まれるアセアン」という構図はやや早計であり、今後の慎重な検討が必要であろう。
※※中央公論新社(編)『金子光晴を旅する』中公新書、2021年
本書は、金子光晴とその妻・森三千代のそれぞれ個別の対談記録、それに金子に縁の作家・詩人19人が記したエッセーから成る。興味深いのは森三千代の対談(聞き手は松本亮)であり、戦前の金子と森の中国・東南アジア・ヨーロッパでの放浪の旅について、
夫婦関係や金子のその時々の心情の変化などを森が率直に語っていることである。金子の隠れた人柄の一面をみた思いである。
作家たちのエッセーについては、『マレー蘭印紀行』への評論に注目して読んでみたが、各自異なる視点が提示されていて、これもそれぞれに説得的である。数十年前に読んだ『マレー蘭印紀行』をこの機会に再読してみた。
エッセー執筆者の一人である奥本大三郎は「今までに東南アジアについて日本人が書き残した最も優れたもの」と指摘しているが、紀行文に限れば至言といっても良さそうだ。
※「お隣は外国人」編集委員会(編)『お隣は外国人―北海道で働く、暮らす』北海道新聞社、2022年
北海道の産業と生活がこれほどまでに外国人労働者(とりわけ近隣アジア諸国出身の労働者)への依存を深めている現実には、今更ながら驚かされる。
北海道在住の外国人労働者は、2013年の9900人が2020年には2万5000人に急増している(国別では、ベトナム人、中国人、フィリピン人の順)。コロナ禍で出入国が困難になっている中でも、在留者数はそれほど減少しておらず、今後も増加し続けることがほぼ確実とみられている。
本書は、外国人労働者の約半数を占める外国人技能実習生に焦点を当て、外国人との関わりの深い執筆者たち(19名)によって、産業別労働実態、日常生活や語学実習、人権問題・失踪事件、各種学校や教会の支援活動など、様々な角度から実習生たちの実相と課題が照射されている。
編者(湯山英子、宮入隆、仮屋志郎)によれば、まずその実状と課題を知ることが外国人との共生を実現する第一歩になるという。1993年に始まった外国人技能実習制度の問題点は、様々なNGOやマスメディアが取り上げ、母国の送り出し機関や斡旋業者、
日本側の管理団体や受け入れ企業における不正や法令違反がしばしば指摘されてきたが、それだけでは実習生の労働と生活の実相は中々見えにくい。
また北海道のような地方社会では、外国人との共生には独自の課題もある。低賃金や不安定就業という日本人との共通の問題だけではなく、過疎化や脆弱な生活インフラの中で、外国人が働きやすい環境を如何に整備するかは喫緊の課題である。
本書は、人手不足を補うために外国人の短期受け入れを繰り返すだけでは、もはや地場産業も介護福祉も成り立たなくなっていること示している。
「特定技能」制度(2019年に導入)が普及すれば、職場の移動と長期滞在は可能となるが、今度は流動化する外国人労働力の定着を如何に図るかが重要な施策となろう。
こうした課題を抱えるのは、もちろん北海道だけではない。おそらく日本の多くの地方社会に、共通した労働事情が生起しているであろうことは想像に難くない。北海道の事例紹介は、他の地方でも多いに参考になるだろう。編者の労を多としたい。
※池田真也『商人が絆す市場―インドネシアの流通革命に交わる伝統的な農産物流通』京都大学学術出版会、2022年
筆者がインドネシアで最も頻繁に訪れるジャカルタ首都圏では、とくに今世紀に入って中心部におけるショッピングセンターやスーパーマーケット、郊外では巨大ショッピングモールが次々に登場し、
少なくとも外見上は都市の様相が大きく変化しつつあるようにみえる。都市部における新中間層が構成的比重をもって増加するに伴って、その購買力と生活スタイルの変化が定価販売の近代的市場の比重を増加させているようだ。
それならば、昔ながらの値段交渉で売買される市場(いちば、パサール)は、やがて近代的市場に取って代わられるのであろうか(因みにインドネシアのスーパーマーケットの市場占有率は約10%、2009年)。
本書は、ジャワ島西部のジャカルタ首都圏と東部のスラバヤという2大都市圏をフィールドとして、農産物の伝統的流通が新たな技術革新に適応しつつ、自ら変化する可能性に注目した研究である。
具体的には、野菜の流通市場に関わる産地農民・集荷商人・卸売業者・小売業者への聞き取り調査に基づいて、流通革命に晒される産地の小規模経営農家や商人の業態変化を分析している。
分析結果の一例を示すと、近代的流通(スーパーマーケット)によって契約栽培に参入した農家も、新たな栽培技術を獲得しつつ、近代的流通に一方的に組み込まれることなく、依然として伝統的流通との関係を強く維持している。
産地の商人が近代的市場と伝統的市場の両者と取引を行い、伝統的集荷が近代的流通の一端を担う事例、伝統的流通自体が卸売市場へと発展している事例などもある。
著者は、結論部分で、「ジャワの流通の本質は伝統的流通にある」と言い切っている。
確かに本書の成果は、途上国における固有の経済システムが、外来的な刺激に反応しつつ自ら内的に変貌・発展していくという内発的発展論の一事例として読むこともできよう。
ただし、本書が扱っている野菜流通は保存期間が短い生鮮食品の取引であって、他の一次産品市場とは性格が異なることにも留意すべきであるし、今後の行政による市場制度の整備、商人の認可制の導入などが進めば、近代的流通と伝統的流通の相互関係がどう変化することになるのか、
今後の課題も少なくないようだ。
※小笠原弘幸『ハレム・・・女官と宦官たちの世界』新潮選書、2022年
本書は、オスマン帝国のトプカプ宮殿(15世紀後半から19世紀前半の約400年)のハレム(ハーレム)を分析対象として、ハレムを「王位継承者を確保するために厳格に運営された官僚組織」(274頁)として描いている。
一般に流布するような性的放埒やイスラム世界の慣行といったハレムへの偏見に対して、後宮のハレムに住む女官(女奴隷、18世紀には約500人)・宦官(黒人、同300〜400人)・王族などの出自、職階、俸給、日常生活、刑罰などを詳細に検討し、
従来の常識的なイメージを覆している。時代と共に変化する女官・宦官・王族にまつわる慣行についても様々な事例が紹介されており、例えば、女性たち(奴隷)のハレムへの入廷・出廷に伴う身分変更や改宗の慣行の変遷などである。
特に興味を引くのは、ハレムが機能的にその空間構造を発展させていたこと、ハレムの最高権力者である母后や黒人宦官長の中には、オスマン帝国の政治や国防に権勢を振るった者がいたこと、
黒人宦官長は宗教寄進の監督職を得て絶大な権力を手にしていたこと、どの構成員もピラミッド状に序列化された職階によって厳格に組織されていたこと、王位継承者の育成を第一義としたために、
イスラム法については厳格な適用よりも現実主義的に対応していたこと、などである。
ただし、後宮組織を備えた王朝は、オスマン帝国に限らない。他のイスラム王朝においても規模の大小はあれ後宮の存在が知られており、東アジアでは中国・朝鮮の歴代王朝にも後宮が存在した。
日本でも近世の徳川将軍家には組織的に機能した後宮(大奥)があった。つまり、歴史上の世襲君主制国家においては、後宮の存在はむしろ普遍的とも言えよう。
それ故に、今後の課題として、様々な後宮が果たした歴史的役割が比較検討されるならば、オスマン帝国のハレムの特徴もより一層明らかとなるだろう。
|